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2023年度の祇園祭山鉾巡行・及び関連行事(宵山等)は本来の形にて開催予定です。
※状況によりやむを得ず予定が変更となる場合がございます。詳細・最新情報については公益財団法人祇園祭山鉾連合会及び各山鉾町のホームページ等をご確認ください。

祇園祭 2023

〜 京都の街中がミュージアム! 〜

祇園祭をもっと楽しむ!前祭・後祭、神幸祭・還幸祭など見所まとめ!

祇園祭といえば山鉾巡行、宵山の出店…いろいろありますが、ほかにも見所はたくさん!ここでは、覚えておくとより祇園祭をより楽しめるポイントや豆知識をまとめました。お祭りに出かける前の予習、その後の復習にもどうぞ!

祇園祭の日程については「日程」ページをご確認ください。

山鉾巡行は前祭・後祭の2回!

2014年以降、山鉾巡行は17日の「前祭(さきまつり)」と24日の「後祭(あとまつり)」の2回に分けて行われています。
1966年~2013年までは、山鉾巡行は17日にまとめて行われていましたが、本来の2度に分けて行うかたちに戻そうという動きが高まり、2014年から現在の形式となっています。

なぜ前祭と後祭に山鉾巡行をするの?

元々山鉾巡行は、町の邪気や穢れ(けがれ)を山鉾で清め、祇園祭の主神である八坂神社の神様が通る道を作るために行うものです。
17日の前祭では、八坂神社から神様の乗った神輿を四条の新京極・寺町商店街前の御旅所(おたびしょ/神様の乗った神輿が休憩・宿泊する場所)へお迎えし、24日の後祭では逆に八坂神社にお神輿を帰す「神輿渡御(みこしとぎょ)」が行われます。これにあわせて、神輿が出る前にそれぞれ山鉾を巡行します。

前祭・後祭の登場山鉾

前祭・後祭に巡行される山鉾はあらかじめ決まっています。
前祭で先頭をつとめる長刀鉾や、後祭で殿(しんがり)を担当する大船鉾など、古来からの決まりで巡行の順番が決まっている山鉾もあります。 その山鉾は、7月2日に行われる「くじ取り式」で順番決めのくじを引きません(くじ取らず)。

前祭の際は長刀鉾のすぐ次に巡行する山鉾のことを「山一番」と呼び、とても縁起が良く名誉なこととされます。(粽が特別仕様になっていることもあります)
また、山鉾ごとのご利益も、行列の前に近いほうがより良いとも言われます。

前祭(17日)登場の山鉾(全23基)

長刀鉾(1)/函谷鉾(5)/放下鉾(21)/岩戸山(22)/船鉾(23)
菊水鉾/月鉾/鶏鉾/山伏山/孟宗山/太子山/郭巨山/保昌山/油天神山/四条傘鉾/蟷螂山/伯牙山/木賊山/霰天神山/白楽天山/芦刈山/占出山/綾傘鉾

後祭(24日)登場の山鉾(全10基)

橋弁慶山(1)/北観音山(2)/南観音山(6)/大船鉾(10)
役行者山/鯉山/八幡山/鈴鹿山/黒主山/浄妙山

  • 太字はくじ取らず。右の数字は登場順
  • 巡行コースは、後祭は前祭とは逆周り
  • 各山鉾の詳細は「山鉾コレクション」ページをご覧ください

復活した鉾と休み山

祇園祭の山鉾のなかで、巡行には参加していないもののことを「休み山」といいます。長い祇園祭の歴史上、戦乱や町の大火の影響により鉾が焼失してしまうということは何度もありました。多くの山鉾はその都度人々の努力により復興されてきましたが、一部は復興にいたらず、「休み山」となっています。「休み山」となっている山鉾の町内では、残されたご神体や飾り物を展示する形で祭に参加しているところもあります。

復活した大船鉾

長く「休み山」となっていた鉾のなかで近年復活を果たし話題となったのが、「大船鉾(おおふねほこ)」です。大船鉾は元治元年(1864)の「蛤御門(禁門)の変」による火災で鉾本体が焼けてしまい、以後は「休み山」として残された飾り物を展示するかたちでの参加が続いていました。その後、鉾町の人々をはじめとした努力の結果、失われていた囃子も復活、新たに鉾本体や懸装品も作られ、2014年から本格的に巡行に復帰。後祭のしんがりとして、その雄姿を披露しています。

船鉾と大船鉾―二つの“船鉾”の意味

祇園祭には船鉾(ふなほこ)と大船鉾、2基の船形の鉾があります。実はこの2つの鉾は、同じ船を表しています。
前祭に登場する船鉾は、ご神体でもある神功皇后が戦のために港から船出するシーンを表しているため「出陣の船鉾」と呼ばれています。対して、後祭に登場する大船鉾は神功皇后が戦から帰ってきたシーンを表し「凱旋の船鉾」と呼ばれます。大船鉾の巡行復帰により、船は行きっぱなしではなく無事に帰ってくることができるようになった、とも言えます。

見られる休み山:鷹山・布袋山

鷹山(たかやま):京都市中京区三条通室町西入ル衣棚町

鷹山は応仁の乱以前から巡行していた由緒ある山鉾のひとつで、ご神体の人形が3体もある大変大きな曳山(車輪がついた鉾に似たタイプの山)でした。中納言在原行平が光孝天皇の御幸で鷹狩りをする場面を表しています。昔の祇園祭を描いた屏風絵にもその姿を見ることができます。

江戸後期の文政9年(1826)に大雨で懸装品が損傷してしまったことに加え、蛤御門(禁門)の変」による火災で本体も焼失してしまい、以来、ご神体や残された懸装品などを飾る「居祭」で参加を続けてきました。

宵山(後祭:22・23日)の際はご神体などの展示が見られるほか、粽とお守り、おみくじが授与されます。(御朱印も有り)
近年、大船鉾の復活にも触発され鷹山でも復興の気運が高まり、保存会を中心に復興活動が行われています。2014年には囃子方も復活しました。

http://www.takayama.or.jp/

布袋山(ほていやま):京都市中京区蛸薬師通室町西入姥柳町

その名の通り、七福神の一人布袋さんを祀った山。どのような姿であったかは現存史料が少なくはっきりしませんが、記録によれば巡行の際は鉾町の人々が布袋さんを模した被り物姿で巡行に参加していたといいます。天命の大火(1788)の際に布袋さまと童子たちの像を残して焼失してしまい、以後休み山となっています。

現在は「居祭」として、前祭の宵山(14~16日)に布袋さんの像を展示するほか、文政6年(1823)に使われていた版木から描き起こした図柄を使った護符と粽、お守りなどを販売しています(御朱印も有り)

近年では2012年には山の土台となる櫓(やぐら)が作られるなど、保存会を中心に復興に向けての動きも進んでいます。

http://hoteiyama.shichihuku.com/

山鉾巡行後の行事

神輿渡御(みこしとぎょ)/神幸祭(17日)・還幸祭(24日)

山鉾巡行が終わると、八坂神社の神様を乗せた神輿が町を練り歩く「神輿渡御」が行われます。前祭の山鉾巡行後、八坂神社から神様を四条通(新京極・寺町商店街前)にある御旅所へお迎えするものを「神幸祭」、1週間後、後祭の際に神社へ神様をお送りするものを「還幸祭」と呼びます。

両日とも、夕方16時~17時頃からスタート。神幸祭では八坂神社、還幸祭では四条御旅所から、「中御座(なかござ/祭神:スサノオノミコト)」「西御座(にしござ/ヤシハラノミコガミ)」「東御座(ひがしござ/クシイナダヒメノミコト)」の3つの神輿が男たちに担ぎ出されて夜中まで街を練り歩きます。神輿を担ぐ際の掛け声「ホイット、ホイット!」は「祝人、祝人(ほいと、ほいと)」からきているといいますが、諸説あるようです。

見どころは八坂神社の石段下(四条東大路の交差点)を始め交差点や神社前で行われる「差し上げ」「差し回し」。勇壮な掛け声と共に神輿を担ぎ上げ、ぐるぐると回転させるエネルギッシュなイベントです。なお、神輿の通るルートは決まっていますが、3つそれぞれ異なるのでご注意を。

神幸祭・還幸祭の巡行ルートはこちら(八坂神社のサイトへ)

花傘巡行

24日の後祭では、山鉾巡行とともに「花傘巡行」が行われます。もとは1966年に山鉾巡行が前祭(17日)の1日で行われるようになった際、後祭の巡行に代わるものとして開催されたのが始まりです。後祭の山鉾巡行復活後も、引き続き行われています。

花傘巡行は朝10時ごろに八坂神社を出発し、京都市役所、四条御旅所などを通り町を一巡りし、お昼ごろに八坂神社へと戻ってきます。子どもたちの神輿が先頭に立ち、その後を花傘を被った女性たちや武者行列、大きな花傘(台車)、鷺舞や獅子舞、そして各花街の芸舞妓さんを乗せた曳き車など、総勢1,000人近くが祇園囃子の音色とともに練り歩く華やかな行列です。花街ごとに異なっているという芸舞妓さんの衣装も見どころ。

八坂神社に行列が戻ると、午後からは鷺舞や獅子舞、祇園囃子、舞妓さんの踊りなどの奉納が行われます。祇園囃子の担当山鉾町など内容は毎年変わるので、ぜひご注目を。