ソウル・フラワー・ユニオンは2010年6月30日に『死ぬまで生きろ!』をリリースした。
『死ぬまで生きろ!』という真っ直ぐなタイトルと、鳴り響くカリビアンのリズムが印象的な表題曲に加え、浅川マキ(※1)の追悼ソング、ライヴ音源と盛り沢山の内容だ。
9月には【ダンスは機会均等!】ツアーが始まり、チケット代は高校生半額・中学生以下無料という面白い試みがされている。
また、彼らのTwitterアカウントでは、社会的な発言も多く、沖縄県辺野古で主宰した『PEACE MUSIC FESTA!』や上関原発(※2)で揺れる山口県祝島(※3)の猫の写真を『アクア・ヴィテ』のジャケットに使うなど、言葉だけに終わらない活動にも精力的である。
ソウル・フラワー・ユニオンの中川敬が、いま見ていること、考えていること、そして関係の深いこの京都という土地についても語った、7000文字のインタビュー。
基本的にはミーハー。何をやっても結局ソウル・フラワー流になる。
スタッフ二号 最初に新しい音源について伺おうかなと思っているのですが、一枚を通して聴いてみて、レゲエもあり、カリビアンもありですごく楽しめました。お祭りを聴いているようで。歌詞もメッセージ性が強くて、刺さるものがありました。
中川敬 客観的に聴いたことないからね。これでいいのかソウル・フラワーって思うことはよくあるけど(笑)眉間にしわ寄せて音楽をやりたいわけじゃないし、基本的には面白がってやってるってことやね。
スタッフ二号 タイトルの『死ぬまで生きろ!』がストレートですよね。
中川敬 世の全生物、反論の余地なしやね(笑)。
スタッフ二号 でも実際に聴いてみると、軽やかなリズムがあって、タイトルから来るイメージと曲調のギャップが印象的でした。
中川敬 ギャップ…。自分ではそういうの全然なかったけど、取材やっているとみんなに言われるね。タイトルが命令形でビックリマーク(=!)やからね(笑)。
スタッフ二号 『死ぬまで生きろ!』のカリビアンな曲調にはハイチの震災(※4)が関わっていると聞きました。
中川敬 曲調の方やねんけどね、、歌詞どうのこうのっていうことではなく。まあ、歌詞もどこかで繋がっているとは思うけど、アレンジと曲調の方。ソウル・フラワー・ユニオンが新曲としてこれを作っているときに、ハイチの震災が起こった。Twitterやっていると、凄惨な写真を含めてほんとに細かい情報がどんどん入ってきて、自分の日常の中に「ハイチ」がやってきた。やれることっていったら、信頼できるところに募金するくらいしかないっていうのが居心地悪くて、せめてハイチ音楽を聴きまくろうと思って、一ヶ月くらいずーっとハイチ音楽ばっかり聴いてた。その影響がこのカリビアンなビートに入ってきてる。
スタッフ二号 意識的にいろんな音楽のジャンルを取り入れようってのはあるのですか?
中川敬 相当昔になるけどけど、1989年、22歳の時にメジャーと契約して、それまでできなかったことがやれるようになった。レコーディングで、ブラスを入れたり、フィドルを入れたり、パーカッションの人を呼んだり。そうなってくると、自分が子供のときから聴いてきたあらゆる音楽の雑多な要素を取り入れたくなってね。NEWEST MODEL(※5)の3rdアルバム『ソウル・サバイバー』を作った頃からラテンっぽいものを混ぜたりとか、ファンクっぽいものを混ぜたりとか、まあ、徐々にやね。基本的にはミーハーやから、よっしゃ次は沖縄民謡や、次はアイリッシュトラッドや、次はサルサやって、次はレゲエやって(笑)何をやっても結局ソウル・フラワー流になんねんから。食い散らかしたれ!みたいなね。20代の頃、若い頃はそんな感じやったね。礼節をもってしてあなた達の音楽をやらせていただきますっていう感じはまったくなかったね。いただき!みたいな(笑)
スタッフ二号 活動も世界各国でもやられていますね。
中川敬 基本的には、身軽に動けるモノノケ・サミット(※6)が多いけどね。
スタッフ二号 いろんな文化圏の人と繋がっていこうという思いが伝わってきて、音楽繋がっていこうという思いも伝わってきます。
中川敬 繋がっていこうっていうよりも、なんでここまでいろんな文化の人間が存在するのに出会えないのか?っていうのがあるね。在日ブラジル人、在日イラン人、在日コリアン、在日中国人…、日本列島にはあらゆるコミュニティがあって、あらゆる民族が住んでいる。でも、お互いの文化がなかなか日常的に出会わないというのがあって。だから何か面白そうな話が来るとすぐ飛びついちゃうっていうのはあるね。ピースボートが「今度パレスチナ難民キャンプでやるので来ませんか?」「行く行く行く!」(笑)「今度北朝鮮に米持って行くんですけど、ソウル・フラワーも一緒にいきませんか?」「行く行く行く!」。普通行けないよね北朝鮮にライヴしになんて。日常的に普通に、次のツアーに釜山が入っている、台北が入っている、とかいう風にしたいよね。距離的には札幌や沖縄でやるのと変わらないんやから。国家主義が邪魔するからやむなく闘ってるんやな、俺らは(笑)
スタッフ二号 歌詞や音楽はご自身の受けた経験から来るものが多いのでしょうか。
中川敬 先にメッセージがあって、あとでメロディーとかコード進行が付いて来るっていうタイプではない。メロディーとアレンジの方向性っていうものが頭の中に漠然とあって、メロディーが決定された頃に歌詞を書くっていう。その時その時、抽象性を自分の中でよしとするのか、ダメとするのかっていうのくらいかな。俺の曲作りのポイントは。普段の「出会い」がありがたいというか、それが言語化して歌詞に出てくるって感じやね。だから引きこもってたらソウル・フラワーの歌詞の世界は書けなくなる(笑)
※1 浅川マキ
女性シンガー。1970年、アルバム『浅川マキの世界』でデビュー。以降、オリジナルアルバムを27作発表。2010年1月17日に公演先のホテルで急逝。
※2 上関原発(かみのせきげんぱつ)
上関原子力発電所。中国電力が瀬戸内海に面する山口県熊毛郡上関町に建設計画を進めている。
※3 祝島(いわいしま)
上関原発建設計画地の対岸に位置する島。周辺海域には多数の生物が生息している。
※4 ハイチの震災
2010年1月12日にハイチ共和国で起こったハイチ地震。20万人に及ぶ犠牲者を出した。
※5 NEWEST MODEL
1985年から1993年まで活動した中川敬率いるミクスチャー・パンク・バンド。
※6 モノノケサミット
ソウル・フラワー・モノノケ・サミット
1995年2月の阪神・淡路大震災の直後にソウル・フラワー・ユニオン伊丹英子の発案で、被災地での「出前慰問ライヴ活動を開始。三線・チンドン太鼓・アコーディオンなど、電気を必要としない楽器で編成される。被災地に始まり、ソウル・フラワー・ユニオンと同時並行で国内外で活動を続けている。