京遊×橋本関雪記念館 白沙村荘の庭から 第九回
京都には大小さまざまなミュージアムがありますが、その中には現在も人が暮らしている家の一部をそのまま公開しているようなところもあります。そんなミュージアムのひとつが、日本画家・橋本関雪の建てた邸宅である白沙村荘 橋本関雪記念館。その副館長で関雪の曾孫である橋本眞次様に、普段はちょっと分からない、美術館での日々を徒然と綴っていただくコラムです。
ようやく白沙村荘の改修も始まり、解体に伴い今まで外部に出していなかった造営当時の建築資料などの提供も行いながら順調に工事が進んでいます。そこで感じることは、やはり途中で余計な工事が行われており最初の姿は見えにくくなっているという事。
以前にも、そして先日も同じようなことがあったのでよく解りますが、キチンと庭園と建物の関係性を把握していないままに付け足しをしたり、手間を省くためにありえない場所に排水を行うなどの処置が白沙村荘そのものを大きく損なうことになっていました。
それらも踏まえながら、今から建物もそしてそれを取り巻く庭園も出来る限り当時のように復元していくつもりです。それ故の資料提供ですから。
白沙村荘蔵各寺社焼印入松丸盆
憩寂庵床の間
改修工事に先立ち資料の取りまとめを行った際に、関雪が寺院の改修の援助をしていたという確たる資料がないかと探していたのですが、厳密にその内容に触れているものは未だ見つかっていません。それらしき記述は随所にあるものの、「そうらしい」ではいけないので頑張って探しますが未整理資料がまだ山のようにあるんですよね。こりゃ骨だと言いながらもセッセと合間を見てデータ化しています。
そんな中で薄々と解っているのは、慈照寺の東求堂に関する工事に関わっているらしいということ。他にも詩仙堂、西方尼寺由来の物や、東大寺や薬師寺、興福寺、元興寺、唐招提寺、大安寺、法隆寺など南都の寺院に関する焼印が捺された物もありますが・・。
工事の物証とは言いがたく、後にどこからか手に入れた可能性もあります。
現在再建が待たれている茶室憩寂庵の床柱と框が東大寺古材であり、また礎石の幾つかが存在していることを思えば関わっていそうなのですが。どうも文化庁所有の工事履歴にはそれらしき年代の工事が浮かび上がってこないのですよね。
大仏殿古材印
慈照寺に関しては確証には至らないまでも書状と、そして「薔薇の櫻州」こと野原櫻州(1886-1933)が旧蔵していた水差が慈照寺旧蔵品であり、箱書きに「慈照寺東求堂改修の際に市からの助成金だけでは工事費用を賄えず、寺にあった骨董等を関雪に引き受けてもらうことでその資を得た。これはその内の一つである。」といった内容が書かれていることから、おそらく大正12(1923)年の葺き替え工事なのかと推測は出来ます。
何にせよ今後の資料整理の中で様々な知られざる内容も浮上してくることかと思う。寺院に関わることだけではなく関雪自身が考えていた事なども多少含まれているので、新聞や雑誌記事からは汲み取れない何かが出てくると考えます。
白沙村荘だけではなく橋本関雪という人物そのもののイメージも、今回の事業で新しく変わることになるのでしょう。できれば良い方にお願いしたいところです。
著者プロフィール
橋本眞次(はしもと・しんじ)
1973年、京都生まれ。
大正・昭和にかけて活躍した日本画家、橋本関雪の曾孫にあたる。
23歳の頃、関雪に興味を持ち父の仕事を手伝いながら資料編纂などに携わる。
現在は白沙村荘 橋本関雪記念館の副館長として活動中。
公式ブログ「京都の庭ブログ」はこちら↓
http://hakusasonso.kyo2.jp/