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京遊×橋本関雪記念館 白沙村荘の庭から 第十回

京遊×橋本関雪記念館 白沙村荘の庭から 第十回 京都市左京区白沙村荘橋本関雪記念館

京都には大小さまざまなミュージアムがありますが、その中には現在も人が暮らしている家の一部をそのまま公開しているようなところもあります。そんなミュージアムのひとつが、日本画家・橋本関雪の建てた邸宅である白沙村荘 橋本関雪記念館。その副館長で関雪の曾孫である橋本眞次様に、普段はちょっと分からない、美術館での日々を徒然と綴っていただくコラムです。

橋本関雪、寺院との関わり

 あれは確か21歳の頃だったかと思う。金剛流の新年会に出席した際に、四条新町の京料理木乃婦(きのぶ)さんにお邪魔した際に、玄関からの上り口に掛けられていた龍の絵が目に止まりました。間違いなく関雪の筆によるもの。しかし当時は画というか美術そのものを勉強し始めた頃だったので、単に「雲龍が掛かっていた」とだけ思いながら帰宅して、喜んで父にその事を話していました。

 今から思えば当然の事ながら、父はその作品が木乃婦に在ることを知っていたようで、ニヤリと笑いながら「で、どう思った?」と聞いてきました。「いや、辰年に色紙にすればどうかな」と言ったところ、他にもう候補が上がっているという。そして次の辰年に色紙になったのは、南京町での春節祭に踊りでてくるあの龍でした。赤青の唐子が楽しそうに龍を踊らせている姿が、いかにも新年を祝う気持ちにさせてくれる明るい画でした。

 そして父が生前に選んだ最後の色紙が、その辰年のものとなりました。「春節祭之図」と題された色紙。神戸の生まれであった関雪らしい、本当に楽しい気持ちになる良い作品だと思います。

春節祭之図春節祭之図

 そしてそれから12年が瞬く間に過ぎ去り、同じように辰年が巡ってきました。以前と同じ物を作っても良かったのだけれどあの時選ばなかった龍を選んでみたくなり、突然ながら木乃婦の高橋信昭氏に電話をかけてみました。氏は快く「良いですよ」と仰って下さり、撮影を行い色紙づくりが始まりました。

 その間にも、やはり父が作ったあの色紙が忘れられずにどうしようかと考えていたところ、母が「前に作ったあの色紙も作って欲しい」と言い出しました。多分同じような気持ちであったのかも知れません。こちらも一も二もなく頷いて、両方の龍に関する解説文を書き、両方を作ってもらえるように発注をかけました。

 そしてそれぞれの色紙が出来上がった頃合いに慈照寺から香港で講演をしないかという話が飛び込んできました。これは来年4月に香港大学から慈照寺と白沙村荘に多くの人がやってきて、白沙村荘では書家の方の展覧会が催されるということに関してのプレだという事でした。

富嶽雲龍図富嶽雲龍図

 「あぁ、良いですよ」と言いながら時が過ぎ、講演のスケジュールを見ていると・・奇縁というか何というか。講演のメンバーに木乃婦の高橋拓児氏が入っていたのでした。先日お伺いした高橋信昭氏の御子息です。その瞬間に父との辰の色紙に関するやり取りをしていたあの時が、鮮烈に蘇って来ました。

 あぁ、あの時父が違う龍を選んだのは、この時の縁を知っていたのかもしれない。何かを感じていたのかもしれないなぁとふと思いました。その後香港での講演は無事終り、高橋拓児氏の人柄にも触れることが出来ました。さて、次の辰年にはどんな縁が待っているのか…もしかしたらそれすらも父は知っていたのかもしれません。

 そして帰国後に、確か龍の画稿があったなと新年の展示に向けて準備をしていたところ、木乃婦に飾られている龍の画の原案が出てきたのでした。やはり、何か縁があるのです。

雲龍図画稿雲龍図画稿

施設情報

白沙村荘(橋本関雪記念館)
京都市左京区浄土寺石橋町37
公式ホームページ

施設の概要はこちら

著者プロフィール

橋本眞次(はしもと・しんじ)
1973年、京都生まれ。
大正・昭和にかけて活躍した日本画家、橋本関雪の曾孫にあたる。
23歳の頃、関雪に興味を持ち父の仕事を手伝いながら資料編纂などに携わる。
現在は白沙村荘 橋本関雪記念館の副館長として活動中。

公式ブログ「京都の庭ブログ」はこちら↓
http://hakusasonso.kyo2.jp/

「白沙村荘の庭から」過去のコラム


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