投稿:2011年1月24日
「Tibet」(2010) © Taku Ibuki 人肌を認識するというのは 撫でたり、さすったり、つねったり、舐めたり、つまんだりすることだけではない。 この確認はどこまでも触感だけに頼ったものでそれ以上でも以下でもなく、そこに"或る"ことを確かめているだけだ。 以前ダンスのワークショップで 二人一組になって一人がもう一人の腕を取り、 とは言ってもそこに他意を感じさせないほどに滑らかにそっと...
投稿:2010年12月 9日
『バスティーユの恋人』(1957) フランスの写真家と言われて思い浮かぶのはブレッソン、ドアノー、ブラッサイぐらい。 あっ、イヨネスコと...。 不覚にもウイリー・ロニスという人は知らなかった。 アンリ・カルティエ・ブレッソンは「マグナム」をキャパらと立ち上げ、雑誌の依頼で世界中を激写したという行動力と実行力にあふれた、また終戦までレジスタンス運動に加わるという明快な志向性を示したカメラマンでジ...
投稿:2010年11月 5日
なんとも熟された感のあるタイトルだけ見れば 旅の道ずれにスケッチブックと淡い心を抱いて 描きためた作品展...という印象を受けるが、 会場に漠然と置かれた断片たちはそんな読みを あっさりと裏切る。 旅は孤独を楽しむもの。 つまり孤独と一緒だから寂しくないのさ、 なんていうのはあまりにポエティックだ。 若い時代に時間を旅に費やすことは実は勇断を伴う。 "自分探し"という語彙そのものには 僕自...