※この記事は掲載時(2012年6月)の情報に基づきます。
京都MUSEUM紀行。第五回【時雨殿】
山と川に囲まれた嵯峨嵐山は、古来より貴族たちの別荘地として愛されてきた場所です。現在は毎年1000万人以上の人が訪れる、京都を代表する観光地となっています。その嵐山の保津川を望む風光明媚な場所にあるのが、今回ご紹介する小倉百人一首殿堂「時雨殿」です。時雨殿は京都商工会議所の創立120周年事業の一環として設立された財団法人小倉百人一首文化財団が運営しています。
私たちにとってはカルタ遊びでおなじみの「百人一首」は、嵐山にある小倉山のふもとが発祥の地と言われています。鎌倉時代、和歌の名手であった藤原定家(ふじわらのていか)は、娘婿の義父から嵯峨野に建てた別荘の襖を飾る色紙の作成を依頼されました。そこで、定家は100人の歌人を選び、一人一首ずつ和歌を色紙にしたためましたが、それが「百人一首」の始まりといわれています。
時雨殿は、そんな百人一首発祥の地である嵐山に、2003年に開館しました。当初はデジタル技術を活用した液晶パネルによる巨大な百人一首のカルタ遊びなどが展示の中心でした。2012年3月にリニューアルが行われ、より百人一首の歴史や多彩な文化的背景、そして嵐山という地域文化を紹介する施設として、現在に至ります。
そもそも「百人一首」は私選の和歌集(公的な依頼ではなく、藤原定家が私的に選定してまとめた歌集)です。一つ一つの歌に意味や思いが込められた、れっきとした文学作品なのです。
室町時代以降、和歌を学ぶ人や書のテキストとして用いられ、多くの書家が作品の題材としていました。また、百人一首のカルタ遊びが成立したのは江戸時代のことです。
リニューアル後の時雨殿では、カルタ遊びだけではない、歌集としての百人一首の姿がクローズアップされており、和歌の意味や世界観、生み出された背景など、「本当の百人一首の世界に触れてほしい」というコンセプトが随所に盛り込まれています。
時雨殿は、展示が中心の一階と、体験イベントなどに用いられる二階で構成されています。
一階の常設展示室で目を引くのは、ずらりと並んだ百人一首に登場する歌人100人の人形たちです。人形は「歌仙絵」(歌人の画像)をベースに、一つ一つ手作りしたものです。着物の文様や服飾に至るまで歌仙絵を忠実に再現しており、人形だけでも芸術品レベルです。(ミュージアムショップでは、ミニチュアの歌仙人形が販売されています)
ベースに使用された歌仙絵は、狩野探幽(かのう・たんゆう)、住吉具慶(すみよし・ぐけい)、勝川春勝(かつかわ・しゅんしょう)などの絵師たちによる作品です。特に江戸時代の浮世絵師である勝川春勝は、浮世絵らしい生き生きとした仕草や表情をつけ、コミカルな表現の作品を描きました。そんな春勝の作品をモデルにした人形は、気だるそうにしていたり、驚いたような表情をしていたり、笑顔でおどけてみたりと、見ていて思わず笑みがこぼれてしまう楽しい姿をしています。どれも大変人間味に溢れていて、親近感が沸いてきます。
また、各人形にはその人物の和歌が添えられています。ここでは四季を読んだ歌なら緑、恋の歌ならピンク、といったように和歌が書かれた色紙が歌の内容によって色分けされており、何について歌ったものか、一目で掴めるようになっています。
全体的に見ると、ピンクが多いような気がします。実は百人一首の大半は恋の歌で構成されていることがわかります。文字だけではわかりにくいことが、ぱっと見でも伝わるように工夫されています。
展示室には、歌の詠まれた場面を再現した「夢舞台」(ジオラマ)もあります。和歌をピックアップし、その場面や内容を、専門家による時代考証に基づき、4分の1サイズで精密に再現しています。(夢舞台は2種あり、ひとつは季節ごとに変更されます)
百人一首の歌が詠まれた時代は、多くが平安時代です。当然、当時の文化や風俗を前提にしていますが、平安時代の雰囲気や状況は、文字だけではなかなか伝わりません。ジオラマはそれを目に見える形で私たちに伝えてくれます。歌が詠まれた世界観を知ると、より一層、歌の世界が身近になってくる気がします。
例えば、光孝天皇の歌「君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪はふりつつ」は、400年続く平安時代の初期に詠まれたものです。この頃はまだ京都に都が移って間がなく、それ以前の奈良時代の文化が色濃く残る時代でした。この歌を再現したジオラマでも、人形たちは奈良時代に用いられた、どこか中国風の服装をしています。平安時代の文化や風俗は、400年間ずっと同じだったのではなく、政治や国際関係などの状況により、絶えず変化していたのです。
※ 取材時の展示は春のものです。季節により内容は変更されています。
光考天皇の歌
「君がため春の野に出でて若菜つむ
わが衣手に雪はふりつつ」
村上天皇の御前で行なわれた
「天徳内裏歌合(てんとくだいりうたあわせ)」
の場面を再現したジオラマ
こちらは平安時代の中期、村上天皇の御前で行なわれた「天徳内裏歌合(てんとくだいりうたあわせ)」の場面を再現したもの。歌合とは、歌人を2チームに分けてテーマに沿った歌を詠ませて優劣を競う遊びで、度々宮中で催されていました。
このとき競い合った中で特に有名なのは百人一首にも収録されている以下の二首です。
平兼盛(たいらのかねもり)
「しのぶれど 色に出でにけり わが恋は 物や思ふと 人の問ふまで」
壬生忠見(みぶのただみ)
「恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひ初めしか」
結果は前者兼盛の勝ちでした。ちなみに、ジオラマには二人は登場していません。二人とも身分が低かったため御前には上がれない、という平安時代の社会のあり方を表しているのだそうです。
二階にある120畳の大広間には、平安時代の貴族の衣裳を身に着けられるコーナーが設けられています。舞妓さんの衣装を着付けてもらうスポットは京都ではよく見かけますが、平安時代の衣裳を着る体験は大変珍しいものです。実際、訪れた方の中には「狩衣(平安時代の貴族男性の普段着)が着られるなんて!」と感激される方もいます。
リニューアルに伴い、常設展に加えて新たに企画展示室も設けられました。こちらでは、時雨殿のもうひとつのコンセプト「嵯峨嵐山地域の振興と文化の紹介」に基づいた企画展が主に行われます。
取材時には天龍寺の寺宝展が開催されていました(2012年春)。6月下旬からは、重要無形民俗文化財「嵯峨大念仏狂言」に関する展示が行われています。(「嵯峨大念仏狂言」は、壬生寺や千本ゑんま堂の念仏狂言と並ぶ「京の三大念仏狂言」のひとつです)
また、今後も、嵯峨嵐山地域ならではの文化を紹介していく予定だそうです。
嵐山といえば、天龍寺をはじめ、さまざまな歴史がある寺社が立ち並ぶ地域です。しかし、自ら宝物館や展示室を備えるところはほんの一部です。大半は、博物館での展覧会に出品する以外には、多数の宝物をまとめて展示する機会はあまりなかったそうです。
常設展示室には、百人一首を記したパネルが壁沿いに設置されています。中には「今日の一首」のマークがついている歌がひとつだけあり、自分の入場券に書かれた歌と一致すると記念品がもらえます。「今日の一首」は日替わり、入場券も100種類あるので、当たるとかなりラッキーかもしれません。
展示資料には、貴重な江戸時代の百人一首かるたや歌人の姿を描いた手鑑などもあります。
美しい装飾の豪華なかるたは、昔、大名家や豪商が娘の嫁入り道具として作らせたものだそうです。
また、数多くの観光客が訪れる嵐山ですが、「嵐山の文化」自体を紹介する場所も意外なことに今まで設置されていませんでした。
そして、京都市内から若干離れた場所にある嵐山は、その立地の影響もあり訪れる人の行くコースが限定されがちであったり、滞在時間が短くなってしまったり、というネックがあるといいます。その点で、短い時間でより深く嵐山という地域に触れられる拠点として、「時雨殿」は大きな役割を担っています。
「自然やお寺には注目されても、「嵐山」という地域で培われてきた文化自体にまとめて触れられる場所は、あまりありませんでした。嵐山、という場所に折角訪れて頂いたのですから、じっくりとこの地域のことを知って頂ける環境を作りたいと思っています」と、今回ご案内を頂いたスタッフの東浦さんは仰っていました。
また、この地域で生まれた文化である百人一首を取り上げるうえでも、地域との連携は不可欠です。
「地域の文化振興に貢献することも、ミュージアムの大切な役割です」(東浦さん)
普段、体験コーナーとして用いられている二階の広間も、ワークショップ、競技カルタの大会や講演会のほか、周辺地域の方々の会合や展示会の会場として貸出することも考慮されているそうです。
地域と連携した企画としては、現在は時雨殿をスタート地点に、携帯・スマートフォンを利用して嵯峨嵐山に点在している100基の歌碑をめぐる、スタンプラリーなども行っています。
「嵐山」と聞くと、桜や紅葉、川下り…といったことが思い浮かぶかもしれません。
しかし、嵐山の魅力や楽しみ方は決してそれだけではありません。
今回取材した時雨殿は、嵐山が、百人一首をはじめとしたさまざまな文化を育んできた場所であることを教えてくれます。インタビューの中で東浦さんは、今後は「嵐山の総合案内所」的な存在を目指したい、とも仰っていました。
これからの嵐山は、まず時雨殿からスタート。そんな一日の始め方をしてみてはいかがでしょうか。
(今回の取材は、学芸員の東浦様、事務局長の才寺様にご協力をいただきました。この場を借りて、厚く御礼を申し上げます)
時雨殿
所在地
〒616-8385
京都府京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町11
時間
午前10時~午後5時(最終入館 午後4時30分)
休館日
月曜日(祝祭日の場合は翌平日休館)、年末年始
お問い合わせ
電話番号 : 075-882-1111
FAX番号 : 075-882-1103
公式サイト
■料金
高校生以上 500円 (20名以上団体 400円)
小中学生 300円 (20名以上団体 250円)
■交通のご案内
JR山陰本線、嵯峨嵐山駅から徒歩15分
阪急嵐山本線、嵐山駅から徒歩15分
京福嵐山本線、嵐山駅から徒歩5分。
京都MUSEUM紀行。アーカイブ
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