投稿:2018年3月 9日
「 風景の澱みから 」・井上 光太郎・奈良田 晃治・宮岡 俊夫 2018.03.01~03.25【 2kw gallery 】 絵が描けない者としては、人物も風景も静物も自身のマナコがトレースした現実以上でも以下でもない所在としか映らない。 しかし、画家は当然のようにそれぞれにフォーカスしながら画家たる心性を支持体に表すことに心砕く。 こうして観察眼の乏しい僕は三人の絵...
投稿:2018年3月 7日
葛本コレクション | 葛本 康彰+木谷 洋 2018.02.27~03.10【 galerie 16 】 ほぼ1年前の個展。 その時に、葛本さんが大学時代に或る劇団の旗揚げに関わりながら舞台美術をされていた話を聞いて、ギャラリーのその容積に所在する作品を単なる“展示”するという行為とは異なる、高密度な何かを感じました。 もしかしたらここは「白い小屋=...
投稿:2016年4月 1日
素人がギャラリーを巡りながら作家とお話しさせていただき「なにぶん、一般人ですが好きで現代美術のブログをアップしています」などと、どれだけ言っても、知らない情報が多過ぎて、もう記憶を司る海馬とやらは相当に傷んでもいますし、第一収拾、整理が全然できていません。 なもんで、気安くお声掛けさせていただき、名刺を交換しながら「ああ、よかった」と。これの繰り返しですね、いわば。 でも作家さんと...
投稿:2014年7月 1日
うまくいかないことを受容できるようになった時から、さらなる染色という「しごと」に向き合える と言っていた大西さん。 前に版画作家が「これなら描いたらいいのに。版画でする必要性は?」と言われたと笑っていたのを思い出します。 大西さんも同様の経験があるそうですが「なぜその方法なのか」と自己に問うということは作家さんなら誰しもあることでしょう。 しかし、その過程があって初めて...
投稿:2014年1月17日
クヴィエタ・パツォウスカーの作風は 一見奔放、天衣無縫に感じられるかも知れないけれど、 実はかなり計算されたデザイン感覚が反映されているように思えます。 「色彩の魔術師」というフレーズはビフォーアフターの建築家への ちょっと薄ら寒いヘッドコピーのようで、陳腐であまり好きになれませんが 最大公約数的な表現としてこうなるのでしょう。 この方は大胆さと繊細さの均整が彼女の...
投稿:2013年12月26日
4年以上前か「BAR超能力/CPG」で見た染谷さんの御獣(おけもの)「太郎と花子」に遭遇した際の軽い目眩は、こうして、さらに磨かれた造形精度と日本的な蠱惑的宇宙の創出への出会いへとリンクしていたんだとうれしくなってしまいます。 この個展のテーマは「心への用」ということです。 以前「自分の作品は工芸“的”であるどころか、工芸そのものです」と仰っていた染...
投稿:2013年12月16日
水族館が嫌いだという人は多分、魚そのものが苦手か、あるいは出た後で恋人に別れ話を持ちかけられたとか、または好きな刺身の(昔、聞きましたね、「大将、イキのいいのを握ってよ!」「はぁ?これ全部死体ですから、ハイ」…なんて身もフタもない小話)元が泳いでいるのに我慢ならないとか… そんな前振りは要りませんが……… 失礼&...
投稿:2013年12月16日
堀 健さんの向かっていく方向に興味津々。 有機的な動きへ置換させることで、ユーモラスで“開かれた遊び”を作品に反映させてこられた感じが印象深かったのですが、今回はちょっと違います。 僕は見た瞬間(と言ってもスイッチを入れて動いた瞬間ですが…)パッとアタマん中にはじけました。 物事が動く、あるいは意志が働く、運動するといった最初のきっかけは確か...
何処かに居る自分 ≒ その自分を取り巻く世界。 その検証過程を可視化するための表現に心砕く芸術家たち。 主観としての自己と、客観としての自己との軽妙な差異。 タイトルはこのギャラリーの座標。 さて、グリッド。 国谷さんの作品「Mirror Site」を見ていて、 このあやふやな、とらえどころのない、 それでいて知ったような気にさせる「世界」と「自己」との距離とは 勿論、...
投稿:2013年10月24日
「 中比良 真子 展 ~ Transparent room ~ 」 2013. 10/11 → 10/23 【 gallery near 】 僕が得る情報は例えば小さな一枚のDMであったり、 あるいはギャラリーのサイトにアップされた極端に小さい画像です。 その画像はもしかしたら作品の一部であったり、 作品とは似ても似つかぬビジュアルであったりもします。...